私の「みててくれる?」と夫の「俺がみとくよ」の【みる】はズレている

ネットやYouTubeで観たもの

我が家は少し前から保護猫を飼い始めたのですが、この猫と生活する中で、夫と私の言葉の認識には、大きなズレがあることが分かりました。そして、数年前にも同じことがあったな、と思い出しました。

それは「みる」という言葉。

漢字でも「見る」「観る」「診る」「視る」など書き方が色々あって、意味もたくさんありますよね。

夫と私では、「みる」の意味の解釈が大きく違い、そのせいで困ったことが起こりました。


ケンカになるほどではないけれど、ちょっとだけイヤな気持ちになったので、昇華させるために言語化してみようと思います。

  • 夫婦間の言葉の認識のズレは、すり合わせることはできるのか。
  • そもそも、なぜこんなにズレが起きるのか。

腹正しいけど仕方ない出来事を、どうにか折り合いを付けていきたいと思います。

きっかけは「ちょっと猫をみてて」と夫に頼んだこと

揚げ物中に、トイレに行きたい私

ある日、私が揚げ物をしているときに、急にトイレに行きたくなりました。

ただ、うちの場合問題があって、すぐには行けないんです。それはキッチンの柵のせい。

うちは、キッチンに猫が入らないように柵をしているのですが、毎回取り付けをするタイプで、取り付けには時間がかかります。

この日は、柵を取り付けている間に、もれてしまいそうな状況でした。


うちの猫は、私がキッチンにいる間は入ってこないけれど、いないときはコンロの近くに行きたがります。

その時は、ちょうど油から上げたところだったので、コンロの火を消したとしても、鍋や揚げ物がとても熱い状態になっていました。柵をしないままでトイレに行ってしまったら、猫が触って火傷をするかもしれません。

それに、そもそも衛生的にも、キッチンに入ってほしくないのです。


そこで、ソファでスマホを見てくつろいでいた夫に頼みました。

  • 私「ちょっとトイレ行きたいから、猫が侵入しないように猫をみててくれない?」
  • 夫「俺がみとくから大丈夫だよ。行っといでよ。」

夫はスマホから目を話し、私やキッチン様子をちらっと確認したあと、猫の方を見ながらそう言いました。

けっこう限界が近かった私は「おねがいねー!」とだけ言って、急いでトイレに向かいました。

キッチンに帰ってきた私は、猫がコンロのそばにいることに気づく

トイレを済ませてキッチンに戻ってきたとき、視界に入ったのは、スマホを見ている夫。

「あれ?」と違和感。


ふと直感が働き、猫の居場所を探し、コンロの方に目をやると、

案の定、猫が揚げ物鍋のにおいをかいでいました。

「ダメよ!!」と叫ぶと、猫はびっくりしてコンロから飛び降り、いつもの定位置へ走っていきました。

夫は「あ、ごめん」とバツの悪そうな顔をして「音がしなかったから、全然気づかなかった」と言ってきました。

私の「みてて」と、夫の「みとく」は違う

夫は「音がしなくて、全然気づかなかった」と言ったのです。

それはつまり、夫の意識では「キッチンで音がしたら、見ればいい」ということを意味します。

夫の「みとく」は、何か起こった後に状況がひどくならないように見ること

夫の「みとく」がスタートするのは、何かが起こったあと。

  • 猫が鍋を触って火傷して叫んだ
  • 揚げ物をくわえて「サクッ」と音を立てた
  • コンロに飛び乗って「タンッ」と音がした

それ以外のタイミング、つまり「何も起きていないとき」は見ないということです。音がするまで猫には注目しないのが夫のやり方です。

要するに、夫の認識では「ずっと見てる必要はないよね?」ということ。

夫が猫に注意を向けるのは、猫が動いて、動いたことに“夫自身が気づいたとき”なのです。

これが、夫の言う「俺がみとくから大丈夫」でした。

私の「みてて」は、危険な状況にならないように「見張ってて!」

一方、私の「みてて」はまったく違う意図がありました。

猫がコンロに乗ったら、それはもう危険な状態。そうなる前に、それを防ぐために、“頼んだこの瞬間から、ずっと見ていてほしい”と思っていました。

猫がそもそもキッチンに入らないように、見張っておいてほしい。

これが私の言う「みてて」だったのです。

つまり、“危険な状況にならないように、事前に気を配っておいてほしい”ということ。


夫と私は会話が、最初から成り立っていなかったのです…。

夫婦間の「みる」意味のズレ 子どもが小さいときにもあった

実は、この「みる」のズレは、以前にもありました。

それは、子どもがよちよち歩きだったころ。

子どもから目を離せない時期のことです。お出かけをしているとき、私がちょっとその場を離れるために、近くにいた夫にこう頼みました。

「ちょっとだけ、子どもをみててくれる?」

夫は

「俺がみとくから大丈夫。行っといで」

と言いました。


でも、私が戻ってきたとき、子どもは汚れたもの(確か石)を口にし、舐めていました。

私は「夫に頼んだはずなのに、なぜこんなことに!?」とびっくりして、同時にものすごく腹が立ちました。

結果としては、子どもは下痢をすることも病気になることもなかったけれど、「なんで見ててくれなかったの?」「なんで止めなかったの?」という思いが消えませんでした。

猫の件とまったく同じ構図です。

夫婦間の言葉の認識のズレは、すり合わせできるのか?

今までも最近も、 認識はズレたまま

「みる」に限らず、私たち夫婦の間ではこれまでにも、言葉の受け止め方や認識がズレていました。

そのたびに私は、

  • 「なんでそんな解釈になるの?」
  • 「ちょっと想像力を働かせて、危険を察知してくれないの?」
  • 「危険なことが起きないようにするっていう発想はないの?」

…と、イライラしてきました。


私は、

「何かが起きてからでは遅いから、危険な状況にならないようにした方がいいよ」

と伝えてきたし、夫も

「そうだよね、気をつけないとね」

と返してきました。

この返事をされるたびに、理解してもらえたと思っていました。

でも、何度そういうやりとりを繰り返しても、このズレがなくなることはありませんでした。

話し合いをしても、認識のズレは解消しなかった

あるとき、私は

「この言葉の認識のズレのせいで、危険な状況が何度も起きてるんだよ。“そもそも危険な状況にならないように”気を配ってほしい」

と伝えました。

すると夫は、分かったような、分かっていないような顔でこう答えたのです。

「危険な状況になるかならないかって、まだ起こってないのにどうやって分かるの??」

あぁ、なるほど。そういうことか。

その時初めて気付きました。

この人は「起こりそうなリスクを推測して、先回りする」という考え方をしないんだ、と。

私がごく自然にやっていた“危険予知”という考えが、夫の中にはそもそも存在すらしていませんでした。

どちらかの認識の仕方が悪い、ということではない。

ここで強調しておきたいのは、夫に悪意があるわけではないし、まったく考えていないわけでもないということです。

むしろ、普段の生活ではきちんとしているほうだと思います。

ただ、夫にとって「身体に危険が迫る」と捉えるラインがとても狭いようなのです。


夫は、ちょっと火傷やかすり傷ができたり、どこかにアザができたりしても「治るものだし、経験としていいんじゃない?」という考え方をしています。

「少し痛い思いをすれば学べるし、次からは気をつけるようになるだろう」という考え方です。

一方、私の考えは違います。

特に子どもや動物には、なるべく痛い思いをさせたくありません。

たとえ小さなケガでも、しないに越したことはないと思っています。

私が面倒見ているときに子どもや飼い猫がケガしたなら「私がちゃんと気をつけていれば防げたかもしれない」と思って後悔します。


それに、特に今回のような揚げ物中のときは、取り返しがつかない火傷をする可能性が考えられます。

子どもや猫は、思いもよらない行動をとることがあって、それが大きな火傷につながるかもしれません。

大人のように判断能力があるなら、多少のケガは次に生かせるかもしれませんが、子どもや動物は私がケガをさせないように配慮しないと大きなケガをするかもしれない。そのためには、できるかぎりリスクを減らしたいと思っています。

そんな考え方をする私は、危険を察知する“感度”をすごく広くとっています。


この「どこからが危険か」という線引きが、私たち夫婦ではまったく違うのです。

私が言い方に気を付けても、夫もよく考えるようにしても、解消しなかった

猫の件とは別件なのですが、「私の言い方が悪いのかな?」と気になって、夫に尋ねてみたことがあります。

「もっと具体的に言ったら、分かりやすい?」

私の普段の説明の仕方が下手なのかもしれない、と思ったからです。

「言葉の認識のズレ」が起きるたびにモヤモヤしていたけれど、もしかしたら、もっと具体的なお願いに言い方を変えれば伝わるのではないかと考えたのです。


たとえば猫の件でいえば、

「猫が熱々の鍋を触って肉球を火傷するかもしれない。だから、猫がコンロに触れないようにしておいてくれない?」

という風に、状況とリスクを具体的に説明してお願いしたら、夫も私の意図を組んでくれるかもしれない。

そう思って夫に尋ねてみたのです。


でも、夫の返答はこんな感じでした。

「何が起こるのかを予想できないのに、どうやって鍋を触らせないようにすればいいの?
そもそも、一瞬触って多少火傷したとしても、そこまで大したことじゃないと思うけど。」

つまり夫にとっては、“リスクを未然に防ぐために行動する”ということ自体がピンと来ていないわけです。


私がどれだけ言い方を変えても、「なるほど、そういう危険があるのか」という“理解”はしても、「だから見ていてほしいんだね」という“納得と行動”まではたどり着かないわけです。

結局、「やってほしい」と伝える私と、「なんでそこまでする必要があるの?」と感じる夫の意識のズレが埋まることはありませんでしたし、今もズレたままです。

私たち夫婦の場合、言葉の認識のズレは解消しなかった

この話は猫の件に限ったことではありません。

たとえば、お店の名前を思い出せないとき、私は場所や外観の色、ロゴの雰囲気などを手がかりに説明します。「○○にある、看板がみどり色のお店あるじゃん?」など。

しかし夫は、そもそも外観や雰囲気の情報に意識が向いていないため、私がいくら詳しく説明しても伝わらないのです。

結局、私がどんなに工夫しても、夫にはそのお店のイメージが伝わらず、終わってしまいます。


この構図は、猫の件でも全く同じですよね。

私にとって「みてて」という言葉は「危険を未然に防ぐように見張ってほしい」という意味ですが、夫にとっては「何か起きたときに見て対応する」という意味でした。

つまり、夫にはそもそも「危険を事前に察知する」という意識がないため、どうすれば危険になるのか、どうすれば防げるのかを考えられないのです。

夫に「みてて」と言いたくなった動画と本

ゆる言語学ラジオの今井むつみ先生の回

そんな私が最近、たまたまYouTubeで見つけたのが、「ゆる言語学ラジオ」に今井むつみ先生が出ている回です。
(※YouTube「人のすれ違いは「スキーマ」から生まれる。【赤ちゃんミステイクアワード】 #363」)


今井先生は、認知科学や言語習得など、ちょっと難しそうなテーマを専門にしている方だそうです。

そこだけ聞くと小難しい人なのかなと思ってしまいますが、この動画では、柔らかい雰囲気をお持ちで穏やかな話し方をする方でした。

そんな先生の話し方が心地よくて、楽しく動画を拝見しました。


この動画の中でも印象的だったのが、11分30秒あたりで今井先生が話していた部分。

  • 「言い方を変えたら伝わると思いがち」
  • 「伝えるとは、相手の心を読むこと」
  • 「受け手がどういう枠組みで自分の言葉を受け取るか」

今井先生が仰っていたこのあたりの話は、私自身もなんとなく感じていたけれど、うまく言葉にできなかったことでした。


私は「説明を変えたら、いずれ伝わるだろう」と思い込んでいたし、「伝わらないかもしれない可能性」には気付いていながらも目をつぶっていました。

そして今回の動画内の、先生の「相手が自分と同じ想定で受け止めてくれるのは幻想」という言葉にハッとさせられたのです。

最初はただ面白い動画だな、と軽い気持ちで見ていたけれど、見終わる頃には、「言い方を工夫すれば何とかなる」という希望的観測こそが夫婦のズレの原因だったのかもしれないと考えるようになりました。

今井むつみ先生が書いた本

その動画の中で、今井先生の著書
『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか? 認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策』(日経BP)
が紹介されていました。

タイトル見て、「今の私たち夫婦にドンピシャな本だ」と思いました。

まだ読んではいないけれど、動画内で今井先生自身がこの本について話していた中で
「お互いの悪気がないすれ違いはたくさんある」
ということをおっしゃっていて、この言葉は私に刺さりすぎました。

私たち夫婦の「みてて」の意味のズレも、まさにその一つだったのでしょうね。だからこそ、この本には「腑に落ちる答え」がたくさん書かれている気がして、ちゃんと読んでみたいと思いました。

勝手に「みてて」くれたら、すれ違いが減るのかもしれないね

今井先生の言葉「受け手がどういう枠組みで自分の言葉を受け取るか」という話ですが、この枠組みのことを「スキーマ」と呼ぶのだそうです。

この「スキーマ」が人によって違うなら、夫には「スキーマが違うこと自体」を理解して、行動でズレを埋めてもらえたら助かるなと思ってしまいます。
たとえば、何も言わなくても勝手に「みてて」くれるとか、「あのとき、あぶなかったかもね」と後からでも言ってくれるとか。

そこまでいかなくても「あぁ、なるほど、僕にはない発想だったけれど、君はそういう意味で言ったんだね。」と理解を示してくれたら嬉しいな…

なんて、現実はなかなかそうはいかないですよね。夫は夫で、理解の仕方の枠組みがあるでしょうから。

けれど、でもこの動画をきっかけに、「私が当たり前だと思っていることは、夫にとっては当たり前じゃないんだ」と分かっただけでも、少し気がラクになりました。

夫婦間の言葉のすれ違いはなくなってない。だから面白い

これからも夫に「みてて」とお願いするたび、同じようなズレは起こると思っています。

でも今は、「それも仕方ないのかも」と少しだけ心穏やかに受け止められるようになりました。

言葉って便利なようで、実は不便なものなんだなと思う。「スキーマ」、つまり考え方や環境などの前提が違うと、同じ言葉でも違う意味で受け止められてしまう…。

言葉でのコミュニケーションって難しいですね。

でも、こうして動画で新しい考え方を知って、言葉の奥にある「その人なりの世界の見え方」があるんだと分かって、夫にも夫の世界があるんだと少し理解できました。

「みてて」が伝わらない夫にちょっとモヤモヤはしますが「でもまあ、言葉のズレは仕方ないのかも」と思えたので、スキーマという考え方を知れて良かったです。

今度、その本を読んだら、また記事にしてみようと思っています。

本は難しいのかな?私でも理解できるといいのですが。

私のように夫婦間のすれ違いに悩んでいる方、読んでみてはいかがでしょうか。

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