今、我が家には猫がいる。少し前に保護猫をうちに迎えた。この猫と生活する中で、「夫」と「妻である私」の言葉の認識には、大きなズレがあることを思い出した。
それは「みる」という言葉。漢字でも「見る」「観る」「診る」「視る」などの種類があり、そもそも広い意味をもつ言葉だ。
夫と私では、「みる」の意味の解釈が違ったせいで、困ったことになった。
「みる」に限らず、長年一緒にいる夫婦間でも言葉による誤解が生じて、すれ違いが起きることがある。
ケンカになるほどではないけれど、ちょっとだけイヤな気持ちになったので、昇華するためにブログにすることにした。
きっかけは「ちょっと猫をみてて」と夫に頼んだこと
揚げ物中に、トイレに行きたい私
私が揚げ物をしているときに、急にトイレに行きたくなった
キッチンには猫が入らないようにする柵を使っているのだが、毎回取り付け・取り外しをするタイプなので、取り付けるにはちょっと時間がかかる。
柵を取り付けている間に、もれてしまいそう。うちの猫は、私がキッチンにいる間は入ってこないけれど、いないときはコンロの近くに行きたがる。
今揚げてる物はちょうど油から上げたところだし、コンロの火も消してから行くつもりだった。でも、猫が鍋や揚げたてのものに触ったら、火傷の危険性がある。衛生的にもキッチンに入ってほしくない。
そこで、ソファでスマホを見てくつろいでいた夫に頼んだ。
夫はスマホから目を話し、私やキッチン様子を確認したあと、猫の方を見ながらそう言った。
けっこう限界が近かった私は「おねがいねー!」とだけ言って、急いでトイレに向かった。
キッチンに帰ってきた私は、猫がコンロのそばにいることに気づく
トイレを済ませ、キッチンに戻ってくる。
ふと視界に入ったのは、スマホを見ている夫。なんだか「あれ?」と違和感があった。直感的に猫の居場所を探し、コンロの方に目をやると、
猫が、揚げ物をしていた鍋のにおいをかいでいた。
「ダメよ!!」と叫ぶと、猫はびっくりしてコンロから飛び降り、いつもの定位置へ走っていった。
夫は「あ、ごめん」とバツの悪そうな顔をして言った。「音がしなかったから、全然気づかなかった」とも。
私の「みてて」と、夫の「みとく」は違う
夫は「音がしなくて、全然気づかなかった」と言った。つまり、夫の中では「キッチンで音がしたら、見ればいい」ということらしい。
夫の「みとく」は、何か起こった後に状況がひどくならないように見ること
夫の「みとく」は、こういうことだ。
- 猫が鍋を触って火傷して叫んだ
- 揚げ物をくわえて「サクッ」と音を立てた
- コンロに飛び乗って「タンッ」と音がした
このように、“何かが起きた後”や“何かが起きそうなとき”にだけ目を向けるスタイル。それ以外のタイミング、つまり“何も起きていない間”は見ない。音がするまで猫には注目しないのだ。
要するに、夫の認識では「ずっと見てなくてもいいよね?」ということだった。
実際、夫が猫に注意を向けるのは、猫が動いて、動いたことに“夫自身が気づいたとき”なのだ。
これが、夫の言う「俺がみとくから大丈夫」だった。
私の「みてて」は、危険な状況にならないように「見張ってて!」
一方、私の「みてて」はまったく違う意味を含んでいた。
猫がコンロに乗ったら、それはもう危険な状態。そうなる前に、それを防ぐために“ずっと見ていてほしい”という願いだった。
猫がそもそもキッチンに入らないように、見張っておいてほしかったのだ。
私が夫にお願いした「みてて」は、こういうことだった。
- 私がトイレに行って、キッチンに戻るまでの間、ずっと猫から目を離さずに見ててね
つまり、“危険な状況にならないように、事前に気を配っておいてほしい”ということ。
ここで、夫と私の「みる」の意味がまったく違っていたのだ。
夫婦間の「みる」意味のズレ 子どもが小さいときにもあった
実は、この「みる」のズレは、以前にもまったく同じ形で起こっていた。
それは、子どもがよちよち歩きだったころ。親が片時も目を離せない時期に、私がちょっとその場を離れる用事があり、夫にこう頼んだ。
夫はいつものように「俺がみとくから大丈夫。行っといで」と言った。
でも、戻ってきたとき、子どもは汚れたものを舐めていた。
私はびっくりして、すぐに口を拭き、ものすごく腹が立った。
結果として、子どもは下痢をすることも病気になることもなかったけれど、「なんで見ててくれなかったの?」「なんで止めなかったの?」という思いが消えなかった。
猫の件とまったく同じだ。
夫婦間の言葉の認識のズレは、すり合わせできるのか?
時間が経っても、 自動で認識のズレが解消することはない
「みる」に限らず、私たち夫婦の間ではこれまでにも、言葉の認識のズレがたびたび起きてきた。
そのたびに私は、
…と、イライラしていた。
私は何度も、「何かが起きてからでは遅いから、危険な状況にならないようにしようね」と伝えてきたし、夫も「そうだよね、気をつけないとね」と返してきた。
でも、何度そういうやりとりを繰り返しても、月日が流れても、このズレが自然に一致することはなかった。
話し合いをしても、認識のズレは解消しなかった
あるとき、私はとうとう言った。
「この言葉の認識のズレのせいで、危険な状況が何度も起きてるんだよ。もうそろそろ、“そもそも危険な状況にならないように”気を配ってほしい」と。
すると夫は、分かったような、分かっていないような顔でこう答えた。
「危険な状況になるかならないかって、まだ起こってないのにどうやって分かるの??」
その瞬間、私は気づいた。
あ、この人は「起こりそうなリスクを推測して、先回りする」という考え方をしないんだ、と。
私がごく自然に当たり前だと思っていた“危険予知”という考えが、夫の中にはそもそも存在していなかったのだ。
どちらかの認識の仕方が悪い、ということではない。
ここで強調しておきたいのは、夫に悪意があるわけではないし、まったく考えていないわけでもないということ。むしろ、普段の生活ではきちんとしているほうだと思う。
ただ、夫が「身体に危険が迫る」と捉えるラインが、とても狭いのだ。
たとえば、ちょっと火傷したり、かすり傷ができたり、どこかをぶつけてアザができたりしても「治るものだし、経験としていいんじゃない?」という考え方をしている。
「少し痛い思いをすれば学べるし、次からは気をつけるようになるだろう」と。
でも私は違う。
特に子どもや動物には、なるべく痛い思いをさせないようにしたい。たとえ小さなケガでも、「私がちゃんと気をつけていれば防げたかもしれない」と思って後悔する。
しかも子どもや動物って、大人の予測を軽く飛び越えてくるような行動をとるから、思わぬ事故につながる可能性もある。
だから、できるかぎりリスクを減らしたい。そう考える私は、危険を察知する“感度”をすごく広くとっている。
この「どこからが危険か」という線引きが、私たち夫婦ではまったく違っていたのだ。
私が言い方に気を付けても、夫もよく考えるようにしても、解消しなかった
猫の件とは別の場面で、「私の言い方が悪いのかな?」と気になって、思い切って夫に聞いてみたことがある。「もっと具体的に言ったら、分かりやすい?」と。
「言葉の認識のズレ」が起きるたびにモヤモヤしていたけれど、もしかしたら、もっと具体的にお願いすれば伝わるのでは?と思ったのだ。
たとえば猫の件でいえば、「猫が熱々の鍋を触って肉球を火傷するかもしれない。だから、猫がコンロに触れないようにしておいてくれない?」といったふうに、状況とリスクを具体的に説明してお願いすればいいのではないか。そう夫に尋ねてみたことがある。
でも夫の返答はこうだった(意訳ではあるが)。
「何が起こるのかを予想できないのに、どうやって鍋を触らせないようにすればいいの?
そもそも、一瞬触って多少火傷したとしても、そこまで大したことじゃないと思うけど。」
つまり夫にとっては、リスクを未然に防ぐために行動するということ自体がピンと来ていないのだ。
私の言い方をどんなに変えても、「なるほど、そういう危険があるのか」という“理解”までは到達しても、「だから見ていてほしいんだね」という“納得と行動”まではたどり着かないのだ。
結局、「やってほしい」と伝える私と、「なんでそこまでする必要があるの?」と感じる夫の意識のズレが埋まることはなかった。
私たち夫婦の場合、言葉の認識のズレは解消しなかった
これは、猫の件に限った話ではない。
例えば、お店の名前を思い出せないとき。
私はお店の場所や外観の色、ロゴの雰囲気などから説明を試みる。
「駅の近くにあって、外観が深緑で、なんかアンティークっぽい看板のお店、覚えてる?」といった感じで説明した。
でも夫の返事はだいたい決まっている。
「?? 全然わからない。そんなお店あったっけ?」
そこで、じゃあこれならどうだ!と、今度はそのお店で売っている商品や、店内の棚の配置、香りの印象まで詳細に説明してみても、やっぱり反応は変わらない。
結局のところ、夫は“お店の外観”や“店内の雰囲気”といった情報に、そもそも意識が向いていないのだ。だから、私がどんなに言葉を尽くしても、どんなに説明を工夫しても、その情報が夫に届くことはない。そうなるともう、伝える手段が見つからない。
この構図は、猫の件でも全く同じだった。
「みてて」という言葉ひとつとっても、私にとっては「危険な状況にならないように、事前に察知して見張ってほしい」という意味であり、
夫にとっては「何かが起こったときに、状況を見て対応する」という意味だった。
夫は「そもそも“危険な状況を未然に防ぐ”という意識がない」わけだから、私がどんなに言い方を変えても、そこに意識を向けさせることはできない。
私たち夫婦の場合、この「言葉の認識のズレ」は、残念ながら今でも解消されることがないままだ。
夫に「みてて」と言いたくなった動画と本
ゆる言語学ラジオの今井むつみ先生の回
そんな私が最近、たまたまYouTubeで見つけたのが、「ゆる言語学ラジオ」の今井むつみ先生の回だった。
(※YouTube「人のすれ違いは「スキーマ」から生まれる。【赤ちゃんミステイクアワード】 #363」)
今井先生は、認知科学や言語習得など、ちょっと難しそうなテーマを専門にしている方だ。でもこの動画では、先生の柔らかい雰囲気や穏やかな話し方のおかげで、するすると内容が入ってきた。
この動画の中でも印象的だったのが、11分30秒あたりで今井先生が話していた部分。
- 「言い方を変えたら伝わると思いがち」
- 「伝えるとは、相手の心を読むこと」
- 「受け手がどういう枠組みで自分の言葉を受け取るか」
このあたりの話は、私自身もなんとなく感じていたけれど、うまく言葉にできなかったことだった。
私は「説明を変えたら、いずれ伝わるだろう」と思い込んでいたし、「伝わらないかもしれない可能性」には気付いていながらも目をつぶっていた。
そして今回の動画内の、先生の「相手が自分と同じ想定で受け止めてくれるのは幻想」という言葉にハッとさせられた。
最初はただ面白い動画だな、と軽い気持ちで見ていたけれど、見終わる頃には、「言い方を工夫すれば何とかなる」という希望的観測こそが夫婦のズレの原因だったのかもしれないと考えるようになった。
今井むつみ先生が書いた本
その動画の中で、今井先生の著書
『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか? 認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策』(日経BP)
が紹介されていた。
![]() | 「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか? 認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策 [ 今井 むつみ ] 価格:1870円 |

タイトル見て、「今の私たち夫婦にドンピシャな本だ」と思った。
まだ読んではいないけれど、動画内で今井先生自身がこの本について話していた中で
「お互いの悪気がないすれ違いはたくさんある」
ということをおっしゃっていた。この言葉が私に刺さりすぎた。
私たち夫婦の「みてて」の意味のズレも、まさにその一つだったのだろう。だからこそ、この本には「腑に落ちる答え」がたくさん書かれている気がして、ちゃんと読んでみたいと思った。
勝手に「みてて」くれたら、すれ違いが減るのかもしれないね
今井先生の言葉「受け手がどういう枠組みで自分の言葉を受け取るか」という話だが、この枠組みのことを「スキーマ」と呼ぶのだそう。
この「スキーマ」が人によって違うなら、夫には「スキーマが違うこと自体」を理解して、行動でズレを埋めてもらえたら助かるなと思う。
たとえば、何も言わなくても勝手に「みてて」くれるとか、「あのとき、あぶなかったかもね」と後からでも言ってくれるとか。
そこまでいかなくても「あぁ、なるほど、僕にはない発想だったけれど、君はそういう意味で言ったんだね。」と理解を示してくれたら嬉しいな…
なんて、現実はなかなかそうはいかないけれど、でもこの動画をきっかけに、「私が当たり前だと思っていることは、夫にとっては当たり前じゃないんだ」と分かっただけでも、少し気がラクになった。
夫婦間の言葉のすれ違いはなくなってない。だから面白い
正直に言えば、これからも夫に「みてて」とお願いするたび、同じようなズレは起こると思っている。でも今は、「それも仕方ないのかも」と少しだけ心穏やかに受け止められるようになった。
言葉って便利なようで、実は不便なものなんだなと思う。「スキーマ」、つまり考え方や環境などの前提が違うと、同じ言葉でも違う意味で受け止められてしまう。
でも、不便だからこそ、こうして考えるきっかけにもなるし、言葉の奥にある「その人なりの世界の見え方」に触れることができる。今回も夫の世界を少しだけ垣間見ることができた。
「みてて」が伝わらない夫にちょっとモヤモヤしながら、「でもまあ、そんな夫と暮らすのも悪くないか」と思えたのは、たぶんスキーマという考え方を知ったからだ。
今度、その本を読んだら、また記事にしてみようと思っている。もしかしたら、読んだあとは私のスキーマも少し変わって、「みてて」のすれ違いについて、また違うことが書けるかもしれない。
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コメント
夫と私の間に「みる」という言葉の解釈の違いがあるのは興味深いですね。日常的なことでも、これだけ認識が違うと誤解が生じやすいと感じました。猫の例からもわかるように、相手の考え方を理解することが大切ですね。でも、この認識のズレをどうやって修正したらいいのでしょうか?このような誤解を防ぐためには、もっと具体的に会話をすることが必要でしょうか? WordAiApi
夫婦間の会話量は多い方だと思うのですが、なかなかかみ合わないことが多いですね。根本的な考え方がズレているので、相手の考え方(スキーマとかバイアスとか。)を考えながら伝えるようにしないとこれからも誤解が生じてしまう気がします。